日本ではダムというと山の奥深くというイメージがありますが、意外にも嘉南の平原を車で走ってほどなく丘が見えてきたなと思ったらそこが烏山頭ダムでした。ダムを含む一連の施設が烏山頭水庫として管理されています。
実は車で走ってきた時に見えた丘がダムそのものでした。烏山頭水庫の施設に入ってからもしばらくは車で走ります。黃さんが車を停めましたが、どこなのかもよくわかりません。とりあえず行ってみることにしました。
烏山頭ダムで堰き止められてできたダム湖の珊瑚湖です。広大なのはわかりますが普通の湖にしか見えません。ここで何が見えるのか自分でも何を期待していたのかよくわかりません。
せっかく来たのでとりあえず記念写真を撮りましたがかなり戸惑っている感じです。風も強くて寒かったです。
ダムの頂部の道路の上を歩いていきます。湾曲しているので積み上げられたダムの側壁が少しづつ見えてきます。ダムというよりは巨大な堤防のようです。
遥か彼方まで巨大な堤防が続いています。人工物というよりは自然にできた丘のような印象です。ようやくこの大工事のスケールがわかってきました。
水を溜めなければいけないので端から端まで長大な堤防を築く必要があります。まさに歴史的な大工事だったことがわかります。
そして出来上がった水庫がこれです。右側の珊瑚湖の水面が左側の嘉南平野よりもずっと高いことがわかります。この高さの差に気がついた時、心から感動してしまいました。この水が嘉南平野の隅々まで水路を通って流れていった訳ですが、そのことよりもこの高さに水を貯めるという発想とそれを10年余りで実現させた八田與一の恐るべきパワーに圧倒されてしまいました。
有名な八田與一の銅像です。後ろに墓石もあります。まさに心血を注いで作り上げた大土木構造物です。
自分も今台湾で仕事をしていますが、八田先生(敢えてそう呼ばせてください)のような仕事の百分の一、いや千分の一でもできればと思います。そういう意味では八田先生は将に私の老師です。
珊瑚湖の一部は浚渫作業を行っていました。泥が溜まると水量が減るのでダムでは基本的な作業ですね。
有名な放水路はこの日は稼働していませんでした。それでもスケールの大きさに圧倒されます。
土石の運搬や人員の輸送に使ったかわいい蒸気機関車です。烏山頭ダムの工事は人海戦術というよりは当時の先進的な土木機械を駆使した合理的な施工だったことも大きな特徴です。
一旦烏山頭水庫を出て八田與一記念園區に行きました。日本の技術者たちが暮らしていた当時の様子を窺うことが出来ます。
八田與一家族が暮らしていた住宅です。奥の洋館風の部分は書斎として増築したものだそうです。
当時の生活の様子も興味深かったですが、やはりこの巨大な構造物の印象が最も強く残りました。高く満々と水を湛えた珊瑚湖がまだ存在しなかった状態でこの構造物とその工事を思いついた八田先生の思考を追体験で来たことこそ今回の旅行の最大の収穫でした。一生忘れられない光景です。
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