2016年8月28日日曜日

我們參觀了佐倉武家屋敷、這個江戸時代的武士房子被很好保存

先週は日本に帰国した翌日に日本エクステリア学会歴史委員会の佐倉市武家屋敷の視察に参加しました。太平洋セメントの技術視察の前の午前中の時間です。ここは江戸時代は佐倉藩の武士階級の居住地で江戸時代後期の武家の住宅が良好な状態で保全されています。


大都市の江戸ではなく人口密度の比較的低い地域で一軒一軒の武家の住宅も敷地が広く、周囲はこのように生垣で囲われています。特徴的なのは生垣の足元の斜面の部分です。建築的には土塁と呼ばれます。


この土塁は佐倉の武家屋敷の特徴になっています。土塁だけで人間の背丈ほどもあり、土塁と生垣の組み合わせで馬に乗った武士の視線を遮ることが目的だったそうです。今でいうプライバシーの確保ですね。


土塁がずっと続いていては中に入れませんので門の周囲は土塁がありません。土塁の法面と生垣、門の納まりが興味深いです。


生垣の樹種は槇のようで門かぶりの樹木も槇が使われています。槇の葉や樹形は品があるので街の佇まいも何となく上品です。


現在、武家屋敷は3件の住宅が公開されています、まずは河原家住宅に入ってみます。河原家は百石取りの家柄だったそうで、中級武士といったところでしょうか。茅葺きの屋根が美しいです。


右側が玄関で二間(3.6m)の間口があります。左側は炊事場に通じる勝手口です。


座敷の側に回ってみると庭に面して長い縁側が設けられています。内部と外部をつなぐ空間の建築要素の巧みさは日本建築の大きな特徴です。美しいです。


縁側の突き当りにはトイレ(厠)があります。厠の入り口には手を洗う盥と手拭があります。これは私が小さい頃には一般的な住宅でもこういった設計が普通に見られました。


これは炊事場です。大きなかまどが二つ設置されている様子がわかります。広い板の間の部屋で中に入るとひんやりして気持ちが良いです。


風呂場です。家の外から入るようになっています。風呂釜は付いていません。一緒に見学した専門家の方のお話では当時は住宅の火災が心配で、釜のような火を扱う設備は1ヶ所にまとめておいたのではないかということです。かまどでお湯を沸かして風呂桶まで運んでいたようです。毎日ですからさぞかし手間がかかったことでしょう。


もう1件の但馬家住宅です。他の2件の住宅が移築されてきたのに対し、この但馬家住宅は創建当時からこの場所に建っていたそうです。


二間半四方、15.5帖の座敷です。現在ならフォーマルリビングルームです。甲冑も展示されています。興味深いのは鴨居の上に長押がありません。当時は百石の家の石高では自宅に長押を設けることが許されていませんでした。石高で住宅の意匠まで制限されていました。そういう時代だったということでしょう。石高と長押、不思議な関係ですね。


見学が終わってふと道路の向かいを見てみると看板があります。日露戦争で日本陸軍の総参謀長だった児玉源太郎が佐倉歩兵第二連隊長だった当時の屋敷がここにあったそうです。当時はまだ江戸時代の文化が色濃く残っていた時代だったので士官という武士階級だった児玉は武家屋敷街に住まいを構えたのでしょう。児玉源太郎は台湾総督としても有名ですので台湾との不思議な縁を感じてしまいました。

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