一応大規模な建築でしたので新建築とか日経アーキテクチャとかで紹介されたのですが、酷評された印象しかありません。どこかの分譲マンションみたいと評されていたのがとてもショックでしたが、実際のキャンパスを訪れてみるとまさにその通りで愕然としたものです。鉄骨の大屋根は東京ディズニーランドみたいでその周りにライオンズマンションがいっぱい建っているという感じです。
建築が人々に素晴らしい作品として感動を与え、記憶されるものだということであれば、これはまさしく駄作だったといえます。大谷幸夫氏のWikipediaの記載にも作品として都立大学は掲載されていません。大学が移転したのが1991年、まさにバブルの真っ最中でそれがためにろくな設計できなかったという都市伝説もありました(本当だったのかも)。
在学中に移転の話が噂になり、当時私のいた研究室は学校建築ではそれなりに有名で、昭和女子大とかも設計して教授はかなり微妙な方でしたが少なくともキャンパス設計には加わるものと思っていました。コンペもなされずに決定されたのが大谷幸夫氏で、この時初めて名前を知りました。
当時、大谷氏は千葉大学の教授で、なんで千葉大の先生が東京都の大学を設計するのかたいそう不思議でした。大谷氏は東京大学を定年退職した後で、しかも東京大学では丹下健三氏の片腕だった言うことを後で知りました。東京都と丹下氏の繋がりはそれはもう周知の事実でありましたので、色々大人の事情があったということですね。
都立大学は小さな大学でしたが特色もたくさんあり、その出身という点で自分は誇りに思っていますがどうもあのキャンパスだけは未だに好きになれません。大谷氏も悔いを残しつつ旅立たれたことと推察いたします。
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